画面の奥には世界が広がっている

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“ケニアの首都ナイロビ中心部から南西約6キロにあるアフリカ最大級のスラム「キベラ」。2.5平方キロメートルほどの面積にトタン屋根の簡素な家が密集し、100万人以上が暮らしている。

「1日1ドル(約108円)未満の収入しかない家庭も多く、貧困が様々な問題を引き起こす。最も深刻なのは犯罪だ」

そう語るのは、キベラで生まれ、いまも住み続けるeスポーツ選手、ブライアン・ディアンガ(29)。得意とする対戦型格闘ゲーム「モータルコンバット」の大会での賞金などを収入にする職業ゲーマーだ。

出典: eスポーツのトップ選手「ビースト」、今もスラムに住み続けるには理由がある:朝日新聞GLOBE+

https://globe.asahi.com/article/14340619

「Beast(野獣)」のIDで広く知られるケニア国内のトップ選手だが、「eスポーツと出合っていなかったら犯罪者になっていたかもしれない。オンラインゲームに人生を救われた」と振り返る。”

“父親はアルコール依存がひどく、家庭内暴力も日常だった。100人近くいた幼なじみの大半は成長するにつれ、麻薬売買などの犯罪に手を染めた。抗争などで命を落とし、いまも元気に暮らしているのは10人も知らない。スラムの住民というだけで、犯罪者との関連を疑われ警官に撃たれることもある。スラムの中でも強盗などはある。ディアンガも命に別条はなかったが過去3回撃たれ、3回刺されている。

暴力的な日常からの逃避先が、首都に次々とできていたゲームカフェだった。オンラインゲームを楽しむ場所だ。使用料は1時間60シリング(約60円)。12歳になると、各家庭への水くみなどのアルバイトをして、こつこつ稼ぎ、それを使って通うようになった。ゲームにこだわりがあったわけではない。現実社会から隔離された仮想空間の居心地が、ただただよかった。

オンラインでつながった相手とゲーム対戦を繰り返したが最初はまったく勝てない。勝つためのヒントもオンライン上にあった。欧米のトップ選手らの対戦中継やゲーム攻略動画が教材になった。勉強し、練習し、対戦する。いつしかゲームカフェが生活の中心になっていた。

「おかげで実社会で悪い友達との付き合いが減った」とディアンガ。2014年、地元の大会に出るまでになり、賞金を勝ち取れるようになった。スラム出身の選手として注目が集まった。”

https://globe.asahi.com/article/14340619 より引用


スラムに住みながら世界と戦うeスポーツプレイヤーの記事です。彼は、画面の奥の世界と繋がることで、精神的に、スラムから抜け出すことができました。

“スランプというのは、自分の周囲に世界の広がりが意識できない状態を言う”

これは、私が大学受験期に読んだ、伊藤真さんの「夢をかなえる勉強法」内の一説です。時間軸や空間軸の広がりを意識できない、つまり、「今この場所で自分に起きていることがこの世の全てだ」と思い込んでしまい、その狭い視野の中で自身の現状が芳しくないものであると、スランプに陥ってしまい、抜け出せなくなってしまうという趣旨のお言葉です。

 例えば、大学受験期のスランプを例にとってみましょう。


模試の成績が悪くて「僕なんかもうダメだ」と思ってしまい、その後の勉強にも今一つ身が入らず成績が上がらない、負のスパイラルに陥ってしまった。


 このスランプは、大学に行きたい理由を明確にしたり、そのもっと先の人生(どんな職業に就きたいか、どんな生活をしたいか)の理想像を明確にしたり、ライバルが何をしているのかを考えてみたり、そもそも「模試って、失敗して自分の弱みを洗い出して、今後成長するための機会だよな」と考えてみたり、そのようにして、時間や空間を広げた思考によって「今この場所で自分に起きていること」を相対的に小さくしていくと、案外簡単に抜け出せたりします。

 いじめはどうでしょうか。私は、小学校・中学校でいじめられていた時期があるのですが、今になって振り返ってみると、その時もまさに「”自分の周囲に世界の広がりが意識できない状態”」、「時間軸や空間軸の広がりを意識できない状態」でした。「自分のいるべき場所や過ごすべき時間を変える」という発想がないんですよね。「昼休みに教室にいるといじめられる」と分かっていても、元々昼休みには教室にいたので、何となく、昼休みに他の場所に行くことも考えられなければ、「いつかはこの状況から抜け出せる」という楽観的な思考もできません。「今この場所でいじめられていること」が世界の全てのように思えてしまい、「私は不幸だ。私だけが不幸だ。」と、結果、精神的に病んで、学校に行かなくなってしまいます。

 そんな私が、学校に行かなくなってからやっと世界の広がりを見つけられたのは、「アメーバブログ(アメブロ)」と「前略プロフィール(前略プロフ)」のおかげでした。それまでの私にとっては「昼休みにいじめてくる同級生の男子たち」が世界の全てでしたが、アメブロや前略プロフの世界には色んな年齢や性別・地域の人たちが存在していて、そこは、私のセーフティーネットとなってくれました。「私も同じような状況だよ」「私も昔そうだったけど、何年か経てばいい思い出になるよ」など、名前も声も知らない人たちとメッセージのやり取りをし、痛みを共有しながら徐々に世界の広がりを感じ始めた私は、高校に進学し人間関係が一新すると、それまでの塞ぎ込みが嘘だったかのようにハツラツとした生活を送るようになりました。

 今の若者は、当時の私よりも身近に・手軽に世界の広がりに触れることができます。TwitterやInstagram等のSNSや、LINE・Discord等の通話可能なコミュニケーションツール等、今の若者は、スマホ1つあれば、タップ1回で世界と繋がることができます。

 ゲーム・eスポーツもまた、今の若者と世界とを繋ぐ架け橋です。その画面の向こうには、色んな国や地域の、色んな性別の、色んな年齢の生身の人間がいて、そこに現実の自分とは異なる人格を置くことで、もしくは、現実の自分の逃げ場を作ってあげることで、現実との折り合いをつけている人たちが山ほどいます。

 お母さんやお父さんに言えないことも、画面の向こうの他人には打ち明けられることがあります。そして、その世界の広がりによって、救われる心があります。

 

 「画面の奥には世界が広がっている」


 狭くて暗い部屋にある、1つのモニター。それは、誰かの命綱かもしれません。